2019秋10月

10月は秋らしく色々あった。

10月1日、大使公邸の夕食会にはじまり11日(金)は勝恵美さんの外務大臣表彰伝達式、こちらも公邸。勝さんの意外な面にもふれる。

8日はラジオの収録(その前のテーマ決め)昼は日本行き時能研修生のトラブル処理メンバーの立ち上げ会、夜は商工会工業部会主宰講演会(シェラトンホテル)たとえ40分でもかかる時間は変わりなし

9日(水)市川匡四郎さん(28年在ベトナム)送別会(三菱ハウス)

13日(日)午前 老人ホーム慰問で歌う 

20日昼、絵本の輪を広げる会(メリアホテル)午後「第九」合同練習、夜は「ベトナム女性の日」でTご夫妻お礼晩餐会(ソフィテルメトロポール)

10月の特徴として川向うから稲わらが燃えるにおいがして(稲刈り後燃やすのが通例)新しく来た人たちが大気汚染と騒いだり、某企業の工場排水タレ流しでハノイ市内の汚染騒ぎがあったり(今も継続中で水道問題発生)、月末に来てロンドンで見つかった30数人のベトナム人コンテナ凍死事件などが発生(?!)である。

日本からは台風19号がもたらした自然災害(その次の号も死者が出て驚く)、即位礼正殿の儀だ、饗宴の儀なども

その間毎日曜午後は「第九」練習毎回参加、何だかとても多忙な1か月であったが充実していた。

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洪水 遠い日の記憶

台風19号の影響が一週間たった今でさえ全容がつかみきれていないという。

なんともつらい悲しい話

堤防の決壊、あふれでた川の水、土砂崩れ

、、どんなに技術が発達したって自然がもたらす影響、災害には勝てないことを見せつけられた。こうした河川の氾濫をみながら遠い昔のことを思い出した。小学校高学年だったか、、いつか?記憶がとんでいるが新潟県の豪雪地帯にもそんな洪水があった。取り入れ前のことだったと思う。夕食後、

「堤防が切れる」

という町内の知らせがあった。それほどすごい雨だったかどうか記憶はあいまいだが川の水かさがあふれ芋川(信濃川の支流の魚野川のさらにまた支流)が決壊したのか、あるいは下(魚野川)の増水で芋川に逆流したのか定かでないが村を通る芋川を超えてしまった。当然、水は我が地域に入り、あっというまに道路は完遂、縁の下へ、床上へ、、。当時、玄関わきには米俵や穀物など、自給自足の年間食料がおいてあったがみるみる間に水没した。隣には寝間(ねま)といわれる寝床があり母の箪笥が1つだけあった。

床上にまで浸水したようすに母は箪笥の着物を引出し2階にあげようとしたら父が

「すっつえんことより食いもんが先だ」

と米俵を移動させようとしたがあっというまに膝まで増水、たいして避難させられないうちに(それはそれは早かった)あっというまにモモまで来たのでもう何もできなくなった。それで食料も衣類もみんな水浸し。。人的被害がなかったことだけが幸いと思うしかない。

夜中なので2階の窓から外を見ると上の方から下の方へ色々なものが流れて行った。物置の屋根、農具、生活用品、動物の鳴き声、、あのころはたいていの家が家畜を飼っていた。牛や馬は繋がれていたから逃げられなかっただろう。のと鳴き声は豚だったような気がする。豚は作の中にいるから自由だ。

このとき私は豪雨、洪水など自然の反乱は怖いと思った。

それから家族みな無口になったらしい。その年、どうやって食料を確保したのか、どうやって乗り越えたのか?今頃聞いておけばよかったと思ってももう遅い、、。さらにこんな奥まった田舎の話はニュースにさえならず町の人たちは誰も知らない。一夜明けたら水が引き泥が家の中に残っている様子を見て

「豪儀だったのお」(大変だったねえ)

という同情をもらって終わり。冬は冬で豪雪のため雪に埋まったり、、いろいろあった。

今回、テレビや新聞の範囲だけだがあまりに多くの災害を目にしながら、遠い日の記憶がよみがえり綴ってみた。

 

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知られざる日本とベトナムの絆

と題して10月8日、お話する機会がありました。

場所はシェラトンハノイホテルで、主催者はJCCI(在ベトナム日本商工会)工業部会で、、といっても私は日ごろご縁がなくよくわからなかったのですが、パナソニック、キヤノン、大手自動車各社などなど100名以上が、スーツ姿でびっくり! いつもは歴史研究会などでは女性が多く、会場もはなやかなのにこの日は9,8割が男性でしたね。でもシンガポール工業団地の藤田さんが(女性)が出張できていて久しぶりの再会は嬉しかった。

結婚式の祝宴のように円卓に8人がけでコース料理を頂き呑みながら話を聴くという感じなので、おしゃべりがあるかなと思い気や皆さんおとな。そして日本人だなとおもったのは熱心に静かに聞いていただけたことです。

いままでは宴会で終わっていたそうですが、今回はP社のMさんの発案で、それもテーマは表記で内容は

ベトナム残留日本兵の家族その後の話

サイゴン陥落(1975年3月30日)を伝えた中村信子さんのお話

の2本立て、30分の予定が15分も伸びたのに、よく静かに聞いていただきました。

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気が付いたら72歳(笑)

パリから戻ってからたまっていたいろんなことを処理しているうちに気が付け婆誕生日が来ていました。この歳でいまさら誕生日なんてどうでもいいけど、周りの若い人たちが祝ってくれるというので会場の「おふくろ亭」へ行ってみると花屋がひらけるほどの花が届いていた。

「どうやって持って帰るの?」

と不機嫌な私に、

「旧市街に行って”バラはいかがですか?”と花売りしましょうか」

という若い男たち、花売り娘は小説になるが「花売りばあちゃん?」(笑)

最近知りあったドイツ帰りのトロンボーン奏者の理世さんが♩ハッピバースデー♩を吹いてくれて会場が大いに盛り上がりました。知らないお客さんも拍手、なんかここはのびのびしていていいなあと思いましたよ。

その前に日本から編集者がきていて缶詰状態に、本当はこんなにのんびりしている場合じゃないのですが、、ま、年に一度の事なのでご容赦ください。

花どうする?

ビロードの真紅の大きなバラの花束はトロンボーン奏者に、かご入りのピンクのバラの花はお店に、持てないほどの花は友人のクルマで運んでもらい、残りは抱えて帰宅、もう少し頑張って生きます(行きます)ね。

 

 

 

 

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ベトナムの本家?パリへ

パリ帰りです(笑)

8月20日深夜ハノイを発ち21日到着、西へ西へと夜を追いかけて朝着くという不思議な体験ですね。

いままで(この30年)飛行機と言えば日本かベトナム周辺国だったのでパリは遠い、そして異国

パリ行きは一年前から決まっていた話で、友人ご夫妻の宿を提供されたいわば「ご招待旅行」であり往復航空券とおこづかいは自分持ちで現地の飲食は先方もちと云う素晴らしいご提案にのったしだい。こんなこともうないでしょうね。

旅のお供は勝さん、彼女とはミャンマーに一緒に2回も行っている仲なので気楽な旅とも

それにしても昔イタリアから行ったときのパリとの違いを多々発見して勉強になる旅でしたね。

何が?

ふだん住んでいるベトナム・ハノイの源流がいかにフランス・パリの影響を受けているかがよく分かったということです。

たとえばカフェ文化だったり、食卓のテーブルクロスやナプキンを使用する文化だったり、通りの右が偶数、左が奇数という街文化や広場など、ふだん当たり前で気にしないことのもとは「ここだったのか」ということがいっぱいありました。

フランスパンにはさむパテも、オペラハウスの開始時間が20時というのも席が1、2、3、4という連番でなく1,3,5,7の飛び番号が隣りだったりとか

台湾に行くと日本の古いシステムが残っているような感じで旧植民地の影響が満載されているわけです。

そんなわけでベトナム在住者としては興味深い旅でした。

イタリアもそうですが、石畳の街は基本的に歩きが中心なので、ハノイでバイクか遠ければタクシーでしか動いていない私としては「心配」であったアシもなんとかクリアできて上出来。これ、さいごのヨーロッパだろうな、と思いながら十分楽しみましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

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あやちゃん

この歳になると中々若い人との出会いが少なくなる。

少ない?というより無きに等しい。ところがこの夏、わがVOV日本語放送にインターンがきてちょっと楽しいことになっている。名前はあやねさん。W大3年生だ。

ベトナム人は「あやね」が発音できず、みんなあやちゃんと呼ぶのでわたしも「あやちゃん」でいこう。

あやはベトナムに来た時は20才だったが先週末21歳になった。しごとを終えてから私のバイクでいろいろ連れまわしたらきゃあきゃあ喜んでいた。週末のオペラハウス前で写真をパチリ、ソフィテルメトロポールレジェンドホテルも説明してあげると。「知らないことばかり」と喜んでくれるので嬉しい。

誕生日の前日VOVで花束をもらい、土曜日は「おふくろ亭」でロッテホテルのいちごケーキで大勢に祝ってもらった。いろいろ連れまわしたおかげで両親や先生にも話せないいろいろな悩みを聴くことができて、私はちょっといい気分だ。

お父さんは52歳、お母さんは40代後半(笑)

ハノイで働く独身の日本人男子や女史と同世代の親だ。おやおや。

祖母の年齢を聴くと私よりほんの少し上、そりゃそうだ。だからバイクで案内しながら言ってやった。

「あやが私を乗せるのが普通なのよ」と。

「ベトナム関連の仕事についてハノイに戻ってきたらきっとそうします」と殊勝なこという。信じやしないけど、、期待しないで待とう。

 

 

 

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お盆の墓参り?しませんよ

子どものころの夏の思い出と言えば8月13日のお墓参り

「先祖代々の墓」と刻まれたご先祖様のお墓参りを思い出す。あたらしい提灯を買ってもらい、新調したワンピースを着て父と母、兄嫁夫婦、(紡績にいってる姉が帰省していれば一緒に行ったかも記憶が薄い)

家から村はずれのお墓までは徒歩なので20分以上はかかった気がする。行き帰りにはもう終わって帰ってくる人々でにぎわった。普段会わない人でも家族総出でお墓参りに行ったような気がする。病人やお年寄りで歩けない人でない限り「行くのが当然」という空気があった。

「おばんです」

「おばんでござんした」

線香とマッチが入った巾着をてにぶらさげ、こんな会話をする。

小学校の時の数年の思い出だけれども、こんな時代が合ってよかったなあと思い出す。

というのはベトナムも仏教だから「お盆」はあるがお墓参りをする習慣がない。いつお墓参りするか?「命日」とか、「何回忌」とか・・

だからお彼岸だからと一斉にお墓参りと云うことはないそうだ。まあ気楽と言えば気楽だけど、、

で、お盆はどうするか?家でご馳走つくりみんな集まってひたすら食べる「あんでぃ あんでぃ(食べて食べて)」そんなに食べられるもんでもないけど。

 

 

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にほんご人フォーラム2019

アジアの高校生が日本語で交流する「にほんご人フォーラム」というのがあるそうですが、なんと今年のゲストスピーカーとして4日から6日まで参加してきました。場所はベトナム中部の港湾都市のダナン。

主宰はかめのり財団と、国際交流基金(ベトナム事務所)で参加国は日本、ベトナムのほか、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンの高校生たち約50名と付添いの(引率と云うか)先生方ふくめて70人ほどの規模で全体としては10日ほどの日程。

ゲストスピ-カーは、在日ベトナム人の歌手ハイ・チュウさん(在住19年)と在ベトナム20余年のわたし。

ハイチュウさんのことは、新聞などで知ってはいましたが、お会いするのは初めて。

異文化の事や「なぜそこで暮すのか」など、お互い共通することが多く、すっかり打ち解けて、いい時間が過ごせました。彼は最近でこそよくなったと思いますが、「ベトナム人」を掲げると日本でいいことばかりではないと思うのですが明るく前向きで「若いのに凄いなあ」と感心します。

一歩外へ出るといろんな出会いがありますね。

各国で働くすてきな日本人たち、日本語をおしえるベトナム人の先生方、いい出会いに乾杯

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田中孝宜のワールドアイ聴けます

7月31日(水)NHKラジオ

以下で8月28日まで聴けますのでよかったら聞いてください。

ベトナム人の人間関係の「濃密」さを話しました。

その国によってみんなお付き合い方法が違うので相手の国を知っておくこと大事ですね。人間を労働力部分だけでみると(まるで部品のように使うと)いつかしっぺ返しがくるかも。

(4月から始まり、もう3回終わり、次回は10月最初の水曜日の予定)


田中孝宜のワールドアイ
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=5642_10

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「マイあさ」7月31日に出ます


NHK
ラジオ第1「マイあさ!」田中孝宜のワールドアイにレギュラー出演して3回目が間もなくやってきます。次回は
7月31日(水曜日)
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=5642_10
800分 オープニング
8
01分 ニュース
806分 田中孝宜のワールドアイ ← この部分に登場する予定です。自然災害や大ニュースなどで中止になったらごめんなさい。

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